矢筈窯 青山鉄郎氏 インタビュー
釉薬と轆轤の技を極めて六十年。
蛭川の地で青を追い求める、青山鉄郎の陶芸家人生
プロフィール/陶歴
(あおやまてつろう)
- 1946年
- 中津川市蛭川に生まれる
- 1961年
- 土岐市無形文化財保持者・故加藤仁(しのぶ)氏に師事
- 1973年
- 土岐市にて独立
- 1976年
- 蛭川に移り矢筈窯を開窯
- 現在
- 日展会友
(公社)美濃陶芸協会会員
全国各地にて個展開催
受賞歴(2025年現在)
- 1969年
- 朝⽇陶芸展⼊選 以後10回⼊選
- 1972年
- 中⽇陶芸展⼊選 以後11回⼊選
- 1978年
- ⽇展初⼊選 以後40回⼊選
- 1980年
- 朝⽇陶芸展奨励賞受賞
中⽇国際陶芸展奨励賞受賞 - 1981年
- 中⽇国際陶芸展名古屋市⻑賞受賞
美濃陶芸協会記者クラブ賞受賞 - 1987年
- ⽇本新⼯芸展 会員賞受賞
- 1989年
- 陶芸ビエンナーレ⼊選 以後3回⼊選
- 1991年
- ⽇本新⼯芸展審査員 以後5回
- 1993年
- 美濃陶芸展 ⼤賞受賞
- 1994年
- 美濃陶芸作品 永年保存作品に選定される
⽇本新⼯芸東海展 中⽇賞受賞 - 1995年
- 第13回 加藤幸兵衛賞受賞
国際陶磁器フェスティバル美濃⼊選 以後8回⼊選 - 1996年
- ⽇本新⼯芸展 会員佳作賞受賞
- 1997年
- ⽇本新⼯芸展 会員賞受賞
明⽇を開く⽇本新⼯芸展 美ヶ原⾼原美術館賞受賞 - 1998年
- ⽇本新⼯芸展 会員佳作賞受賞
- 2004年
- 蛭川村⽂化芸術功労者 顕彰受賞
- 2005年
- 岐⾩県美術展審査員
- 2007年
- 美濃陶芸展 ⼤賞受賞
- 2008年
- 美濃陶芸茶盌展 秀作賞受賞
- 2009年
- ⽇本新⼯芸東海展 中⽇賞受賞
- 2011年
- 美濃陶芸展 ⼤賞受賞
- 2012年
- 岐⾩県伝統⽂化継承功績者顕彰受賞
- 2013年
- ⽇展東海展 中⽇賞受賞
- 2014年
- ⽇本新⼯芸展 会員賞受賞
- 2025年
- 第1回福寿賞受賞
ふるさと"蛭川"での開窯
釉薬の技法と轆轤挽の達士として知られる青山鉄郎氏。「やはず」に似た蛭川の尾根に因み、縁起を担いで名づけられた矢筈窯に青山氏を訪ね、60年を超える陶芸家人生についてお話を伺いました。

岐阜県南部を流れる木曽川本川の中流部に位置する大井ダム。そのダムによって形成された渓谷「恵那峡」。ごつごつとした岩壁、漫々たる水、木々の濃緑とのコントラストが美しい渓谷を眼下に、恵那峡大橋を渡って中津川市蛭川に入りました。見上げた山には天然記念物の巨岩「紅岩」が顔を出します。麓の細い道をしばらく進むと白い門壁が現れました。
青山さんが故郷の地に自宅と窯を構えようと、縁あって手に入れたのは山間の斜面の土地でした。当時は恵那峡大橋の建造工事の最中で、その地は建設発生土処分場となっていたそうです。その大量の土砂を用い、青山さんご自身が平地へと開墾されたそう。広大な敷地にはご自宅、十分な広さを確保した工房、そしてギャラリー・茶室があります。完成時に植えたという梅や松の大木が年月を物語っています。

15歳で蛭川の親元を離れ、美濃焼の産地として知られる岐阜県土岐市下石の加藤仁氏に師事した青山さん。きっかけは中学校からの紹介だったそうです。陶芸も何も知らず、住み込みで定時制高校に行かせてもらえるという条件だけで弟子入りを決意したとのこと。日中はクラフト食器を型で作っては運び、夜間は学校へと通う忙しい日々の中で、轆轤挽や手捻りなど、陶芸にかける時間を何とか確保したと、当時を懐かしく振り返ります。
気付けばすっかり陶芸に夢中になった青山さん、高校卒業後は更に集中して轆轤に取り組んだそうです。

陶芸仲間と二人で始めた独立当初には大変なご苦労があったそうです。空いていた窯を借りての共同作陶は順調とは言えず、支払いに困った年末には、トラックで東京・原宿まで出向き、トラブルなく商売できる限られた場所に蓆(むしろ)を引き、雪の降る中で作品を売っていたと、今では信じられないようなお話を聞かせてくださいました。
そうした数年間の努力と苦労に区切りをつけ、蛭川に戻る決意をされたそうです。
釉薬のおもしろさ
この、陶器の産地とは無縁の地に窯を持ったことは、青山さんの創作釉薬の技術確立に大きな意味をもたらします。

下石周辺の美濃焼の地では、志野・織部・黄瀬戸といった伝統釉は避けては通れない道であったと、当時の心境を語る青山さん。「自分では食っていけないと思った」そうです。だからこそ、しがらみの無い蛭川の地で固定観念に縛られることなく、自由な発想のもと創作釉の調合に取り組めたのだと。
ギャラリーには様々な色合いと質感の作品が並びます。灰釉、鉄釉、銅釉、亜鉛華釉、結晶釉・・・比類なき多さです。最近の作品には、蛭川の地で採石されるラジウム含有鉱石をパウダー状にし、調合して適切な濃度を出したラジウム釉を施しました。その蒸し器や土鍋は、遠赤外線・マイナスイオンの効果で食材が美味しくなると評判です。
人がホッとできる時間を大切に思う青山さん。気持ちを癒す色 "青"には特別なこだわりを持っています。澄んだ空の青、生い茂る緑の蒼、沖縄の海や深い池の碧、透き通った青・・・材料の組み合わせや、わずかな%の違いの調合等により、釉薬が織りなす表情豊かな青は無限にあります。濃度調節は特に難しいそうで、青山さんは比重計だけに頼らず、掻き混ぜた時の"手"の感触を大切にしているとのこと。長年の経験と勘が成せる業です。
窯焚きの妙
また、イメージする青を出す為には"きれいな"土が欠かせないそうで、土の準備も非常に大切な工程です。工房内には真空土練機が4台置かれています。土の種類によって使用する土錬機を分けるのは、たとえ少量でも異なる土が混ざれば仕上がりに影響を及ぼすからです。

更に、釉薬の調合よりも窯の炊き方こそが仕上がりを左右するのだと青山さんは強調しておっしゃいました。どの窯を使用し、窯内のどの位置にどの作品を如何に置くのか、そして焼く際の設定温度や下げ始める温度、焼成時間はどうするのか。還元や酸化の焼き方との掛け合わせも含め、仕上がりは全く想像できないそうです。狙った通りには出ない、二度と同じ仕上がりにはならない、それこそが陶芸の奥深さであり面白さなのでしょう。

相性の良い土で挽いた作品に、試行錯誤して作り上げた釉薬をほどこし、焼成することによって溶けて出来上がる"グラデーション"。「そこには未だに新しい発見がある」と青山さんはおっしゃいます。焼きあがった作品を早く見たいと窯を開けるのが楽しみで、「待ちきれずに一日早く開けて台無しにしてしまう時もある」と、笑って青山さんはおっしゃいました。
ろくろ"職人"

ご自身について、「自分は陶芸家ではなく『轆轤職人』だと思っている」とおっしゃる青山さん。修業時代のエピソードをお聞かせくださいました。
ある時、60㎝程の高さの"スタンド灰皿"の注文が入ったそうです。脚の部分を轆轤で挽くには細長く、つなぎ目があることによって折れやすくなり、見た目も美しくないと思った青山さん。"継ぎ足し無しの一本引きで60㎝の細引き"ができるようになるまで、日々鍛錬されたとのこと。何か月かの後には作れるようになったそうです。
工芸作品のような大物や薄物は、轆轤で寸胴に引き上げてから広げて作るそうです。丸いものや大きなものは、引き上げて淵の厚みを決めてから膨らますのだとか。膨らませながら薄くは出来ないのです。つまり、寸胴に薄くひけることこそが轆轤技術の基本と言えるようです。灰皿で必要に迫られて習得した技術は、大物の作品に挑戦する切掛けを青山さんに与え、後の大物轆轤の名手への道に繋がっていたのですね。


意欲尽きぬ若々しさ
間もなく80歳を迎えられる青山さん。作品作りでどんなに遅い時間になっても「苦痛じゃない」とおっしゃいます。菊練りも、重い作品を持ち上げることも、日曜大工も、全てご自身でなさると聞いて驚きました。「陶芸が楽しい」「作ることが好き」そんな気持ちがあふれていらっしゃるようです。事実、「意欲はまだまだある」とおっしゃいます。

長い陶芸家人生をもってしても「イメージを持って作り始めても実際には成功しないことがある」そうです。だからこそ原点に戻るつもりで、「気に入って大事にしてきた若い頃の作品に再挑戦しようと思っている」と、今後の展望についても語ってくださいました。
まもなく始まる個展の案内には、異なる釉薬を用いた四点の大型作品《紫黄彩、白結晶、二彩(碧彩と紫黄彩)、鉄赤釉》が掲載されています。中でも鉄赤釉の大型の鉢は30代の自信作で、長らく大切に手元におかれていたそうです。「それらにもう一度じっくりと向き合ってみたい」とおっしゃる青山さん。「釉薬をおさらいし、丁寧に作ってみたい」そうです。

「あっという間の50年だった」と語る明子さん。今でも工房で毎日一緒のお二人。「優しい、真面目な人。ワンマンじゃないから」と、青山さんについて穏やかにおっしゃいました。「大変な時期はあったとしても、苦労と思ったことは一度も無い」そして「この人で良かったと思っている」とも。
青山さんの、焼き物の本質的な美を追求し続ける姿とにこやかなお話しぶりに、
そして明子さんとの仲睦まじいお姿に、心惹かれました。

information
矢筈窯
BASEショップ
岐阜県中津川市蛭川5735−268