半世紀に渡り続く
女性陶芸家先駆者の情熱と挑戦
(さかい・れいこ)
1646年岐阜市生まれ。1966年浪速短大卒業後、京都にて陶芸の研修を受ける。1968年女流陶芸賞受賞。1969年岐阜県立陶磁器試験場研修生終了後、人間国宝の加藤孝造氏に師事。朝日陶芸展入選。1975年岐阜県土岐市曽木町に築窯。1992年岐阜高島屋にて個展開催。1993年多治見市市政記者クラブ賞受賞。1996年岐阜高島屋にて個展、蒲郡プリンスホテルにて四人展を開催。JR名古屋高島屋にて「風塾展」出品。東海伝統工芸展入選。2004年JR名古屋高島屋にて「風塾展」出品。2005年蒲郡プリンスホテルにてグループ展、大阪高島屋にて個展、JR名古屋高島屋にて「風塾展」出品。2006年JR名古屋高島屋にて「風塾展」出品。2007年JR名古屋高島屋にて二人展。2010年古川為三郎記念館にてグループ展。2012年庄六賞茶陶展銀賞受賞。2016年卓男賞受賞。2017年岐阜高島屋にて卓男賞受賞記念個展開催。公益社団法人美濃陶芸協会 参事を務める。
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美しい自然に囲まれた工房
岐阜県土岐市曽木町にある酒井玲子さんの工房は、市役所や大型商業施設のある中心街から車で20分ほどの場所にあります。ひと山を越え森を抜けると、集落が見えてきます。車がやっと通れるほどの細い道を進むと、集落の中でも他に見かけない、茅葺屋根の古民家が見えてきます。
茅葺き屋根は手入れのできる人材も減り、維持は難しいとのこと
こだわりの古民家での生活
その古民家に酒井さんは工房を構えられています。周囲を一望できる見晴らしのよいテラスで、酒井さんにお話を伺いました。
さかのぼること50年以上前、こちらの茅葺屋根の古民家を見たときに、今では建築法で新築が難しい茅葺きの家に住めるのは面白そうだと思い、購入を決めたそうです。
以来、築100年を超える住まいの手入れはもちろんのこと、屋根の葺き替えも表側と裏側を交互に20年から30年に一度行っています。また、野面積みの石垣や裏山の竹藪の手入れも欠かさず、蜂谷柿やアケビ、筍・ニラ・蕗などの自然の恵みを無駄にしない暮らしを続けています。建具に関しても古材を探して入れ替えるなどのこだわりを持っていらっしゃるそうですが、その維持はとても大変だとのこと。「耐え忍びながらも、良いところを取り入れて住んでいるのよ」と、苦労ととれないような笑顔で返されました。
陶芸との出会いと独立
曽木を選んだ理由について、玲子さんは「陶芸家として独立するため、山の中に窯のある仕事場と家を作りたかったから」と語ります。彼女は農機具小屋を古材を使って作陶場に改装し、電気とガスの窯を備えた小屋を作りました。広々とした空間ではありませんが、静かな環境で作陶に集中できる工房です。
大通りからは離れ山元の高台をいかした、眺めの良い工房
玲子さんが陶芸と出会ったのは、大阪で工芸デザインを専攻していた学生時代のことでした。「陶芸なら一生続けていける仕事になるかもしれないと思った」と語りますが、昭和40年代初頭の日本では、若い女性が陶芸を職業として独立しようとすることは非常に珍しかったのではないでしょうか。
しかし、その想いを実現するかのように、玲子さんは第2回女流陶芸展で大賞を受賞しました。多治見市の岐阜県立陶磁器試験場(現在の岐阜県セラミック研究所)に練習生として入ったばかりの22歳の時でした。女性の活躍が難しかった時代に、女流陶芸家としての第一歩を踏み出したのです。
理想の焼き上がりを追求
その後、理想の焼き上がりを追い求めて作陶を続ける中で、“雰囲気のある志野”が焼けないという問題に直面していました。ちょうどその時、土岐市美濃焼伝統産業会館の薪窯にたまたま空きがあったため、使用する機会が訪れました。
ガス窯で100時間以上かけても焼けなかった志野が、たった一度の薪窯で見事に理想の焼き上がりを実現できたとき、「私では太刀打ちできない」と感じたと振り返る玲子さん。その経験から薪で志野を焼き始めるようになったそうです。特に、穴窯で赤松の樹を燃料として自然釉で焼く志野に夢中になったといいます。「自分が意図しなかった仕上がりや、予想外の雰囲気になることもある」と語り、自分の志野の作品を通じて、見る人それぞれのイメージや感情を引き出せることに魅了されているそうです。
小屋に構えられた電気窯とガス窯
これまで長い間陶芸家として活躍してきた玲子さんは、「陶芸が好きだから続けてこられた」と話しています。ご両親が「結婚して家に入るべき」と言っていた時代にあっても、「それは全く考えなかった」とのことです。しかし、美濃焼の地域や業界は当時男性が中心だったため、困難や悔しい思いも多かったそうです。
それでも、玲子さんは諦めることなく、自分の信念を貫き続けてきたと振り返っています。「自分が打たれ強いわけではなかったけれど、自分の思いを信じて、ただ自分の道を歩んできた」と語っています。
伝統と新しい挑戦
玲子さんは現在、志野、織部、黄瀬戸といった伝統的な美濃焼にこだわらず、「南蛮焼や唐津など、さまざまな焼き物を作っている」とおっしゃいます。その理由は、自分のお料理に合う器を作りたいという思いがあるからです。お料理が好きな玲子さんは、曽木の地で採れる四季折々の食材を使って「何てことない家庭料理」を作っていますが、現代の使い捨ての食生活には疑問を感じています。
「せめてプラスチックから直接ではなく、器に移して食べていただけたら」と願っています。そうしなければ、日本の器の素晴らしさが失われてしまうと危惧しており、「私たち作家は、潤いのある生活を提供するために焼き物を作っている」と語っています。
インタビュー中も終始笑顔で答えていただき、とても和みました
お話を伺ったとき、玲子さんは30年以上続けているグループ展を終えたばかりで、ほっとした様子でしたが、「すぐに注文の器を仕上げなくちゃ」と、休む間もなく忙しくしていらっしゃいます。
「私の人生、全て強引に反対も押し切ってやってきたから」と苦笑いする玲子さんですが、「自分で積極的に楽しい方向に持っていかなければ」と、今後も活動を続ける意欲を見せています。
何十年も前の出来事をまるで昨日のことのように生き生きと話す姿が、とても印象的でした。
(2024年8月、インタビュー:志村 知夏)
Information[鳥屋ヶ根窯]
〒509-5402
岐阜県土岐市曽木町 3025