(とみおか・だいすけ)
1973年岐阜県大垣市に生まれ。1994年に京都府立陶工高等技術専門校を卒業後、陶芸家・加藤釥氏および加藤令吉氏に師事。1995年には「第5回日工会展」および「陶芸ビエンナーレ’95」に入選。その後も「日展」において十数回の入選と無鑑査1回の実績を誇り、1999年には「第9回日工会展」で新人賞を受賞。同年、「朝日陶芸展’99」入選。2002年岐阜県池田町に築窯。2014年「第24回日工会展」で文部科学大臣賞を受賞。2015年作品「ドットⅡ」が美濃陶芸永年保存作品に指定される。2020年には「美濃陶芸協会 第6回美濃陶磁育成智子賞」および改組新「第7回日展 特選」を受賞し、2021年「第45回美濃陶芸展 美濃陶芸大賞」受賞。2023年に京都・大徳寺大仙院で個展を開催、2024年には「日展名古屋展」において名古屋市長賞と中日新聞社賞を受賞。同年、「第11回日展」にて再び特選を受賞。
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岐阜県揖斐郡池田町 ― 池田山の裾野に流れる杭瀬川沿いの桜並木。そこから程近い、豊かな緑と長閑な田園風景を臨む工房に、陶芸家 冨岡大資さんを訪ねました。
陶芸との出会い
冨岡さんは岐阜県大垣市に生まれ育ちました。信楽町出身の父君が陶器商を営み、趣味で手回し轆轤を使っていたことから、身近な存在であった陶芸の道へ。京都府立陶工高等技術専門校に入学して陶芸の楽しさを知り、「これを職に続けられたら幸せだろうな」と作家を目指すようになったそうです。卒業後は愛知県瀬戸市の陶芸家の元で修業を積み、2002年に独立。地元に近いところで陶芸活動をしたいとの思いから、元々は梅畑と茶畑だったという池田町の土地にたどり着き、工房を構えられました。
技法と作品
冨岡さんの初期の作品は粘土を紐状にして生地に貼る“線文”が特徴であり、公募展にも積極的に挑戦し入選を重ねていきました。しかし独立後、“線文”を続けるにつれて「自分だけの、何か新しいことを始めたい」との想いが強くなっていったそうです。
冨岡さんは「作品展への落選が続きスランプの中でも、もう線文には戻らないと決めた」とその頃を振り返えられます。
そんな折にたまたま手にした『花粉図鑑』。花粉の拡大写真を目にした瞬間、これだ!というひらめきがあったそうです。冨岡さん曰く「宇宙を感じた」と。
それからは頭の中で描く鮮明な花粉のイメージをどのように粘土で表すか、微細な花粉のディテールをどう形作るのかに着手し、そこで小さな凹を連続して施すことを思いついたといいます。
木の棒で押し、小さな穴を開けようと棒の先端を削ってみる事から始まり、更に細かな穴にするために竹串を試み…しかしすぐに先端は丸くつぶれ、柄も折れてしまったそうです。鉄ならどうだろうかと試みたものの、いずれも納得のいく出来栄えや使用感は得られなかったそうです。試行錯誤を重ねた冨岡さんは、石に柄をつけて使用する刺突具にたどり着き、現在では水晶・トルコ石・オニキスなどの硬度の高い石を選び、ダイヤモンドカッターで削って理想の形に仕上げ、使用しているそうです。
冨岡さんがそこまで道具にこだわる理由のひとつに、作品のサイズが大いに関係しているそうです。
大型のオブジェは10日間~20日間を刺突の作業に費やすそうです。また、生地が乾かぬよう霧吹きをしながらの作業は、常に時間との戦いです。無数の穴を素早く正確に開けるには、耐久性と使い易さを兼ね備えた道具は欠かせません。
そうした自作の道具で、無数の連続した凹部による文様を、冨岡さんは『点刻文(てんこくもん)』と名付け、自身の代名詞となる作品に育て上げました。
キャリアと挑戦
点刻文を生み出したのちの冨岡さんは公募展で受賞を重ねます。
花粉図鑑からヒントを得た日から5年が経ち令和になった頃の作品に、冨岡さんは『始まり』とタイトルを付けました。縦横50㎝、80時間を費やした大作で、中心から放射状に広がる無数の穴は宇宙の広がりを表現しています。この作品は日展の特選を受賞し、冨岡さんにとって特に印象に残る受賞となったそうです。デザイン・形を変えシリーズと化した『始まり』は、2024年に再び日展の特選を受賞します。
冨岡さんにとって、無数の小さな穴は宇宙の光の粒子。
それは生命の象徴であり、無限に広がる命のはじまり。
表現しているのは永遠の命のはじまりの風景なのです。
その原点は冨岡さんが学生時代に「まるで生きているように感じた」、美術館で目にした陶芸家 加守田章二氏の長皿にあるそうです。
加守田章二氏が残した“自分の外に無限の宇宙を見る様に、自分の中にも無限の宇宙がある”との印象的な言葉に、それは「己の宇宙を作品で表現しているか」との答えを見出した冨岡さんは、「自分もそれを表現できたなら」と思ったそうです。
制作にあたり、冨岡さんは『どんな形?模様は?色合いは?』とまずゴールを決めるとのこと。自分が思い描いた完成図にどう近づけるか、伝統的な技法を踏まえながら芸術性を高め、更にはそれを生活用品に落とし込む為に試行錯誤する…それがやりがいであると冨岡さんは語ります。
未来への展望
こうして自身の作風を確立された冨岡さんですが、新たな挑戦への探求心は尽きることがないようです。これまでの点刻文はボディーを作り生地に一点一点刺突し、乾燥後に黒化粧を施し、ペーパーで削った後に白化粧を施すといったスタイル。最近は白化粧に鉄を加え、ベージュから茶の色味を加えた作品も手掛けています。また、シルバー(銀)を塩素で風化させる技法も用いているとのこと。更には、赤い顔料を使用し赤化粧を施すといった“赤い点刻文”をやってみたいとの思いもあるそうです。
常に変化を試みている冨岡さんの、“己の宇宙を表現する旅路”はまだまだ続くようです。
(2024年12月、インタビュー:志村 知夏)
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